Sevilla 日誌 (その2)
  舞台のあとに
  2006年12月 
 
 11月29日のエルフラメンコでのソロライブ・コンサートの後、いろんな方から、嬉しいメッセージをいただいた(ありがとうございました!)。
 そのすべてを記すのは、不可能である。
 20年ぶりに日本で自分の足で第一歩を踏み出したという意味で、私にとって忘れられないライブコンサートとなった。またこの初心を、忘れたくない。
 舞台で最後に、
「20年前にトランク一つで日本を飛び出しました。
 そして飛んで行ったブーメランが、帰りの方向を定めるまでに20年かかりました。
 ということは、何処にいても自分のなかにフラメンコがある、と確信するまでに20年かかった、ということです。
 この思いを、これからも自分の言葉で、フラメンコを通して語ってゆきたいと思います。」
 と挨拶で述べたことに、私の気持ちは集約される。

 舞台のあとの打ち上げの席で私はまだ平常心ではなかったのだが、たまたま席の向かいにいたスペイン人の踊り手(セビージャ出身で、ほかの仕事で来日していた)が私とは面識がないのに帰り際に話したそうにしていたので、
“今夜はどうだった?”と批判されるのを覚悟で聞いてみると、
“よかった。なによりもゆっくり踊るのは、速く踊るのより難しいということを僕はよく知っているからね。そのうえ君は唄を聴くことができるんだもの(encima tu sabes escuchar el cante)。日本人の多くはフラメンコの根(raiz、フラメンコのエッセンス)を知らないと思っていたけれど、今夜は嬉しかった。現代のフラメンコはすごく変わりつつあるけれど、僕もフラメンコはいつかまた原点に回帰すると思いたい。”
 と言ってくれて、私は公演後の喉元のもやもやを、ようやくごくりと呑み込んだ。
 これはスペイン語で言われると、訳とはニュアンスがちょっと違う、重みのある(私にとってはリアルな)言葉である。
 以下は、公演翌日に間接的にいただいた、舞台を見てくださった方からのメールである。
“誰も もてないものを しっかり 手にして、あの場所に 立っている姿は やはり 美しいと思います。求め続ける…ということが どんなに大変で でも どんなにか価値があることなのか… 説得力ありますよね。思うようにいかないことの多い中、たくさんの勇気をもらいました。”
 たとえこの方のこの言葉だけでも、今回リスクを負ってやってよかったと
思った。

 それにしてもなにより、私の在りかたや志向性を理解してがっちりと支えてくれた得難い今回の共演者、そして裏方を手伝ってくれた人々(それぞれかつてセビージャで共に時間を過ごした面々で、日本で手ぐすねひいて待っていてくれた!)なくして、コンサートは実現不可能であった。心から感謝している。

 舞台前後の私の心境を語るのは、あまりに多くのことを感じたので大変難しいが、敢えて二、三記してみる。
 一つは、私は渡西後、今秋以前に日本で踊ったのは2004、5年の2回ライブに参加(ほかの踊り手とのジョイント)しただけであるが、その際セビージャで踊るときとの違いは、me da corajeあるいはme sale corajeというのだろうか、説明するのが難しいが(coraje;コラッへというのはこの場合辞書にある勇気という意味よりも、悔しさや怒りが原動となった感情をいさぎよく振り切ってみせる、というようなニュアンスである)、それがもっと強く出るということである。
 それはこの20年のむこうでの生活が、フラメンコの道がやはり平坦なものではなかったからである。むこうで七転八倒しているときには考える暇もないのだが、それが日本に帰って便利な生活や平穏な社会(むこうに比べて)に生きている人々を目の前にすると、実感する(ある意味では客観視した感情)。
 コラッへというのはフラメンコでかなり重要なエッセンスなので、私は今回のコンサートでも必ず私の踊りを支える要素になるだろうと思っていた。
 ところが実際は(!)、踊りながらホァンの唄にすっかり癒されてしまったのである。
 正直、自分でも驚いた。。。
 本当のアルテは憤りから直接来るものではない、と常日頃思っていただけに、今回の体験は私にとっても貴重なものである。

 もう一つは、フラメンコの踊りは唄の視覚化・具現化という定義に、私はちょっと違和感を覚えるのである。
 私はひとつのコミュニケーションだと思っている。互いに力を与え合い、問いを投げかけ合い、それに応え合い、どれだけ共感しうるか、という。
 まず唄ありき、なのであるが一方的なものではないと思う。
 お互いの理解がなくては成り立たないのである。
 私が全身全霊をあげているのを見て、ホァンもまた全身全霊をあげて応えてくれた。
 そのホァンがtotalmente entre gado(完璧に身を任す、とか身を委ねるとか、没頭して我を忘れるというような意味)の瞬間、私は踊っていて鳥肌が立った。

 打ち上げの席で共演の一人が“ホァンの唄がまだ耳に響いている”というので、こういう価値を知る人たちと舞台を共にできたことの幸運を思った。
 そうして終電で帰宅してあれこれ片付けて、明け方に疲労の極でうとうとしたのだが、ホァンの唄が聴こえてきてガバッと起きる、ということを数回繰り返した。
 もちろん舞台後のテンションが下がるまでにいつも数日かかるのであるが、こんなことは初めてで、おそらく私は無意識の領域まで唄と一体になっていたのだと思う。

 コンサートから10日ほど経ってから、怖るおそる録画(個人的な記録用)を見てみた。
 いつも私にとって録画を視るのは、恐怖である。
 録画というのは、舞台の臨場感を剥ぎ取って技術的な面ばかりを冷酷に映し出すものである。
 今回も本番でのミスや出来なかったことがたくさんあったのは、私が誰よりも知っている。
 録画で私の踊りはいつもと変わらなくて(向上していない!)がっかりしたのであるが、見ているうちにホァン(の唄)と私(の踊り)の間に化学反応(変化)が起きる箇所があって、共演者全員を巻き込んで渦巻くように、空間が歪んでいるのだ!
 それが録画に少しでも映っているとは、私も驚いた。
 私とホァンが通底し合った。
 フラメンコへの愛(アフィシオン)を共有し合ったうえで、お互いの内なる声を共振し合った瞬間がある!
 それはなかなか起こらない、ほとんど奇跡的なことである。
 私にとって今回ホァン・ビジャール・ジュニォとの出会いは、まさに天からの贈り物であった。!Gracias a Dios !
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